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第三章 環
それから、十年の月日が流れた。
息子を失った男は、その日も漁に出ていた。
当時、黒々としていた髪も、今は白髪交じりとなり、海から網を手繰るその手つきはあの時よりも手慣れてはいるものの、動作はゆっくりとしていた。
遠くで海猫のなく声を聞きながら、男は上体を起こし、真っ直ぐにして痛む腰を叩いた。
汗を首に掛けた手拭いで拭い、顔をあげると、穏やかな海原が広がっていた。
いつもと変わらぬ海の様相に、男は息をついた。
息子を失ったこの海で、男はずっと漁を続けてきた。
海はその後も絶えず男に恵みを与え続けた。そう、まるで、何事もなかったかのように。
十年前の盂蘭盆会に、知らなかったとはいえ掟を破りここで漁をしたことが息子を失ったことと関係があったのかは知らない。
しかし、そんなことを考えても意味はない。だって、どうしても息子は戻ってこないのだから。
男が小休止して再び網を手繰ろうとした時だった。網が岩礁にでも引っかかったのか、引っ張っても上がってこない。
ぐい、と強く引っ張っても、網はそれ以上上がらなかった。
「おかしいな」
男は一度手を止めると、海底を覗き込んだ。
しかし、岩礁らしき影は見えない。大分底の方で引っかかったのだろうか。
「弱ったな」
網が上がってこないなら、網を切る他、方法はない。だが、大事な商売道具である。そう易々と切るわけにもいかない。
そう思い、もう一度だけ網を手繰ろうとした時だった。
「わっ!」
男が力を抜いたその隙に、網がものすごい勢いで海へと戻り始めた。
男は、これは岩礁に引っかかったのではなく、大物の魚がかかったためだと思った。このままでは網ごと持っていかれてしまう。男は慌てて網を掴んだ。
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