第1章

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 あれは夏に入ってすぐの頃だった。 リビングのテレビをつけながら、僕はテーブルで大学のレポートを、ナギサは畳の上で洗濯物をたたんでいた。書いても書いても終わらない、目の前の膨大な課題にいい加減疲れた僕は、逃避するように視線を畳の上に正座しているナギサへと向けた。  すらりとした体に、薄い素材のワンピースを一枚まとい、凛と背筋を伸ばして、細く白い指先で器用にシャツをたたむナギサの姿は、窓際で揺れる風鈴のように僕の心を涼やかにした。  ガラス細工のように華奢な指先が、僕のシャツの上をなめらかに滑り、撫でるように優しく折り畳んでいく様を見ているだけで、僕は言葉にはあらわせない幸福を感じた。  その指先が、まるで時間が停止したかのように、ふいに止まった。僕は怪訝に思って、ナギサを見た。  ナギサは、深い青色の瞳で、消音にしたままつけっぱなしにしていたテレビをじっと見ていた。画面の中では、流行のアイドルが青い海をバックに砂浜を駆けていた。どうやら日焼け止めクリームのCMらしい。  何か気になることでもあったのかと、僕は再びナギサに視線を戻して、そして気づいた。彼女が恐らく自分でも気づいていないであろう、彼女のささやかな願いに。  彼女は今まで一度も、海というものを見たことがないのだ。  翌日から、僕は居酒屋のバイトのシフトを増やした。最近のアンドロイドは防水加工が元々されているのが当たり前だが、ナギサはかなり前に製造されたモデルなので、水は御法度だ。  そのため、海へ連れて行ってやるためにはまず防水加工を施してやらないといけなかった。しかし、それには学業に差し障りのない程度に入れているバイトの給料では、到底足りなかった。  もちろん僕自身はアンドロイドなどではなく、ただの人間なので、無理な両立を続けた結果、少しばかり体を壊した。  寝込んだ僕を甲斐甲斐しく看病しながら、ナギサは、どうしてそんなにお金が必要なのかと尋ねた。僕は、大切な女の子にプレゼントしたいものがあるからだと答えた。ナギサは、いつもの無表情を浮かべたまま「そうですか」とだけ言い、寝込む僕の体を濡れたタオルで拭き始めた。  しかし、いつもだったら優しく触れてくれるであろうナギサが、そのときばかりはなぜだか強くやや乱暴ともいえる手つきだったのが、僕には不思議だった。
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