暑い砂浜

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俺は、水と砂浜の出口を求めて再び歩き出した。聴こえてくる音楽は、いつの間にかクラシックになっていた。バイオリンのメロディだが、これはなんて曲だろう? 「『海 - 管弦楽のための3つの交響的素描』ですよ。交響詩『海』とも呼ばれています」 唐突に声が聞こえて、まあ俺は驚いたよ。人影一つないような浜辺で突然男の声が聞こえてきたら、そりゃ驚くよな。 「ドビュッシーの代表曲です。音楽を愛する者であれば、知っておいてもらいたいですね。まあ、あなたはしょせん何をやっても薄い人間でしょうが。海で溺れるか砂浜で熱で倒れでもしないかぎり、あなたの愚かさは治りませんよね。あなたの薄い人生、反省したほうがいいですよ」 薄い顔の男に説教されている俺。男は、俺と似たようなスーツを着ているが、俺よりはるかに涼しい顔をしてる。そして冷たい目で俺を見てくる。なんで薄い顔の男に薄い人生なんて言われなきゃなんねえんだ!そもそも今、俺の横を何食わぬ顔で歩いてるこの薄い顔の男はどこから出てきたんだ?この浜辺はどこだ?今何月何日の何時何分だ?俺は、薄い顔の男に矢継ぎ早に質問する。しかし、男は俺の質問には答えず、自分がしゃべりたいことだけしゃべる。 「質問すれば答えてもらえるという考えが愚かですよ。あなたは、自分の行いをきちんと省みたことありますか?ないでしょう。だから、訳も分からず砂浜を歩くはめになるのです。ドビュッシーは、音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間である、と語っています。あなたの時間に色やリズムがありますか?ないでしょう。だから無駄な時間を過ごすのです」 薄い顔の男は訳の分からん説教をかましながら、ゆうゆうと俺の周りを歩く。 「『海』のスコアの表紙には葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』が描かれています。ドビュッシーは、北斎から影響を受けていたんですね。海の沖をごらんなさい。『神奈川沖浪裏』のような見事な波が見えます」 薄い顔の男は、そう言って海を指さす。指が差す方向を眺めると、確かに沖のほうで見事に高い波ができている。波の上にいくつかの舟が見える。どうやら漁師が乗っている。 「ほら、漁師さん達があなたのことを見ていますよ。せいぜい、この浜辺の出口を探してさまよって下さい。コーザナイデー」 そう言うと、薄い顔の男はいつの間にか姿を消した。
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