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──交差点で用心してればよかったか? いや、あのレベルで用心してたら、自転車の方が速い。そりゃ、確かに不注意だったけど。そりゃ、そうだけど……。
「直人君、もう着くから」
──直人を拾わなければよかったか? 同僚の息子が泣き歩いてるのを見つけて、まして直人みたいな……少し遅れた子を見つけて、どうして素通りできる? どこで保育士とはぐれたのかも、分かりようがなかったんだ。連絡先も知らなかった。
「直人君」
──見つけた時に、母親を呼ぶべきだっただろうか? だが由衣の退勤までまだ二時間はあった。迎えに来れるのはそれからだ。その点、自分は医師会から病院に戻る道中だった。チャイルドシートはなかったが、十五分もかからないんだ。廃れた歩道に置き去りにせず、母親が勤める病院までちょっと乗せてやる、それだけだ。親子揃って真っ直ぐ家に帰れる。こんなに効率のいいことはない。それに、そう、由衣とは単なる同僚じゃない。子供を送るくらいは許容される間柄だ。──じゃあ、どうすればよかった?
直人はとうとう返事をしない。シートベルトにもたれかかるように、体を前に屈めてうなだれていた。白鳥は、いよいよ大変な事になったという事実に、自分の頭上がすっかり塞がれてしまっていると気付いた。湖の表面が潜水中に凍りついたみたいだった。氷は分厚く、叩いても叩いても、既に冷えきった白鳥の両手を氷点下に誘い込むばかりで、亀裂の一本も入らなかった。どこまで泳いでも、頭上の氷はずっと続き、太陽光さえ通してくれなかった。酸素を。誰か、一泡の酸素を!
気が付けば本当に息を止めていた。病院の駐車場の目前まで来ていた。白鳥はやっとのことで呼吸し、駐車場の車の間を縫い、反対側まで抜けて、病院入口の自動ドアが開くほど寄せて車を止めた。
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