老人と温泉

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白虎温泉は、近年はやり出した街中の日帰り温泉施設だ。もっとも、施設形態が流行っているからといって白虎温泉が人気になっているわけではない。その日の客は、まだ80歳前後の老人一人だった。 「ここも潰れるんじゃないかって、噂だよ」 事務所の従業員たちが噂を耳にして契約社員の北斗麻衣(ほくとまい)はため息をついた。ここが潰れれば、26歳にして5回の転職をすることになるからだ。 「どうして、こんなことになっちゃたんだろう」 不運を恨みながら、パート社員の山形伊智子と脱衣所の清掃に取り掛かった。 「オープンしてから1人しか使っていないのよ。掃除する必要があるのかい?」 伊智子が不服そうに話すのに驚いた。麻衣は社員といっても1年更新の契約社員で、立場上はパートと大差ない。採用されたのも半年前にすぎない。一方の伊智子はパート社員とはいえ、白虎温泉オープン当初から10年も働いているベテランのパートさんだからだ。 麻衣は「衛生上のルールーですから」と優しく説明しながら洗面台の消毒をした。 その時である。ドボーンーと浴室から大きな音がした。そんな音は水族館でイルカショーを見たときか、中学の水泳の時間に元気がいいだけの男子が飛び込んで威勢よく腹打ちをしたときしか聞いたことがなかった。 いずれにしても何かが浴槽に飛び込んだのに違いない。
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