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伊智子には音が聞こえなかったのか、聞こえないふりをしているのか、機械的に床にモップをかけている。
「大きな音がしませんでしたか?」
麻衣が声を掛けた。
「風呂に飛び込んだんだろう。放っておきよ」
「まさか、年寄りが……」
稀にやって来る小学生が深い立ち湯に頭から飛び込むことがあるが、今、大浴場にいるのは高齢者が一人のはずだった。
麻衣は恐る恐るドアを開けて中を覗いた。
「たいへん!」
湯船の真中に老人の尻が浮かんでいた。
麻衣は伊智子と共に大浴場に駆け込む。
伊智子が湯に浮かんだ身体をモップで引き寄せようとするので、「傷つけたら大変です」と制してスカートをまくりあげて浴槽に入った。
老人の沈んだ頭を持ち上げて仰向けにする。顔は赤かったが息をしているようには見えなかった。そのまま浴槽の縁まで引いてくる。そこで老人の背後から両腕の下に自分の腕を入れて持ち上げた。老人は痩せていたが男だけあって軽くはない。ブラウスの前面がびっしょりと濡れたが、気にする余裕はなかった。
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