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クリオネのこと
「いただきまあす」
海咲ちゃんは行儀よく手を合わせてそう言った。
私も何となく真似してみる。なんだろうか、この清々しい感覚は。背筋が伸びるというのか。これからものを食べるんだ、という一種の覚悟めいたものが湧き上がってくる。
幼いころはちゃんといただきますしなさい、何てよく言われたものだ。最近はいただきますなんてサボリがちだったなと改めて思う。
こんな素敵な習慣をないがしろにしていた事は、確かに愚かしいといえよう。
何とかと親の意見には千に一つの無駄もないんだっけ? 細かくは忘れたけれど、いただきますが大切ってのは分かった。
海咲ちゃんは嬉しそうに箸を手に取り、大振りなから揚げを一つ摘まんだ。それが口元に近づくや否や姿を消したではないか。もぐもぐと口を動かしているところから、食べたのだと分かるが、捕食の瞬間は目で追えなかった。
ああいや、弁当に捕食って表現もどうなんだ。まあでも、イメージとしてそんな感じだと伝わってくれれば幸いだ。
普段教室で見ている可愛らしい姿とは一線を画した食事の姿。どんな姿であれ、例えほにゃらら顔ダブルピースとかでも、私にとっては可愛いの一言で済むわけなのだが、驚くか驚かないかと問われれば話は別だ。
はっきり言って驚いた。
それにしても、こういう生き物なんかいたなぁ。普段は可愛らしくしているくせに、食事する姿は怖いやつ。
「……クリオネ」
「えっ?クリオネがどうかした?」
「あ、ううん何でもない」
慌ててぶんぶん首を左右に振る。いかんいかん。考えていることが口から洩れた。海咲ちゃんと弁当を食べられる幸せに浸り過ぎて、緊張感というものを無くしていた。ああ違うな。緊張はしている。ただ、海咲ちゃんに対して緊張しすぎて、マイボディパーツの各所について、締め付けが緩んでいたらしい。
「か、可愛いよね、クリオネ」
「う、うん」
海咲ちゃんの眼は、明らかに引き気味だった。
クリオネを憎んでいるのかと思いきや、そうではないようで、要するに興味が無いんだな。このあたり、私と海咲ちゃんは驚くほどに意見が合う。運命的ともいえるだろう。何しろ、私もクリオネにはさっぱり興味が無い。
話を変えることにする。
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