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「……そろそろ、閉める時間ね」
「ああ」
この書店は、不思議な空間だ。
実際のわたしは、きっと、病院で横になっていることだろうし。
もっと、老いたすがたのはずだ。
手を伸ばして、すべての照明を落としていく。
ひとつずつ、書棚が、闇に消えていく。
しばらく、暗い静けさのなかで、わたしの世界を楽しんだ。
本の香りがする。それは、わたしにとって、とても身近なもの。
だからこそ、国語を教える立場となった。
「ねえ」
手を、にぎってくる。となりに、彼女がいる。
わたしの世界に、彼女がいてくれている。
「楽しかった?」
「ああ」
つい、口もとがゆるむ。
「とても、楽しかった」
「いい人生だった?」
「いい人生だった」
「そう。よかったわね」
「ああ。よかった」
ほんとうに。良き出逢いに、あふれていた。
苦しみも、痛みも、切なさも。
いまとなっては、すべてが、愛おしい。
ここにある、すべての本、すべての知識や経験が。
すべての人との関わりが。
この店を、わたしというカタチにしてくれた。
だから、すこしでもその恩返しができたなら。
わたしの人生が、培ったものが、だれかの役に立てたなら。
もうなにも、思いのこすことはない。
「じゃ、行こっか」
「あ、待って」
最期に。
わたしは、張り紙を新しいものに変えた。
──長きにわたり。
これまで賜りました皆さまのご愛顧に、
心から、感謝申し上げます。
ほんとうに、ありがとうございました。
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