39人が本棚に入れています
本棚に追加
再度入館症を取り返し、
今度こそ取られないよう鞄の奥底にしまった。
こうやって弘に悪ふざけをされることにも、
だんだんと慣れてきた。
悪びれもせず、ごめんごめんと笑って俯きながら
着ていた薄いブルーのシャツのボタンに手をかける弘の指を、
目の端で静かに見つめる。
この瞬間が、
最も恐ろしく、
最も望む瞬間でもある。
真は息を飲むと、顔を部屋の入り口の方へ向けた。
他愛もないやり取りから、
”夜の世界”に引き寄せられる。
次にあのドアノブに手を掛ける頃には
もう、”この時間”は終わっている。
扉がどんどん遠ざかって、小さくなっていくように見えた。
「……こわい…?」
白く逞しい腕が背中越しに回されると、
身体が固くなっていくのを感じた。
胸の鼓動が耳全体を覆うように鳴り響いて、落ち着かない。
「………分から…ない………」
「……くすぐる?」
真はすぐに後ろを振り向いて、きっ、と睨みつけた。
「あー……好きなやつ。猫睨み。」
くすぐりが弱いことを知っていて、
こういうことを言う。
弘は小さな声でごめんね、と言った。
真は大きな溜息をついた。
少しだけ、気が紛れたような気がする。
背中越しに伸びる大きな手は真の喉元から鎖骨にかけて、
ゆっくりと滑り落ちていく。
背中ごと弘の身体に預けると、
耳の後ろに唇を当てられた。
こそばゆさに、肩が上がる。
「……今日は…何も香りがしない」
「…え…?」
「いつも…なにか、香、水…?付けてるから」
「そうだね。今日は…何もつけてこなかった。」
浅く上下する胸に手を当てられると
腹に力が入った。
親指が少し胸の先を掠めただけで、身体が一気に熱を帯びる。
身体は覚えている。
弘が次に、何をするのかを。
「…あの…初めて会ったときの…」
「シトラスだ。」
「…本当によく…覚えてるんだな…」
初めてここに来たとき、
弘はシトラスと花の香りの混ぜたような、
甘酸っぱい香りを身に纏っていた。
それが今でも、強く印象に残っている。
「…あの香り、好き?」
「……”弘”…って…感じがする…」
「……そっか。」
少しだけ、
身体に回された弘の腕に力が入ったような気がした。
最初のコメントを投稿しよう!