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「じゃあ、また来週ね」
「うん。後で、予約の電話入れるから。」
支度を済ませた弘を部屋の扉の前まで見送る。
弘は先程のベッドの上の様子からは打って変わり、
満面の笑みを浮かべていた。
何が弘をそうさせているのか薄々は気づいてながらも、
自分から口にすることはしなかった。
「…すごい笑顔」
「”また来週”っていうの、初めてだから」
自分でもなぜあんなことを言ったのか、信じられなかった。
ただ、弘を悲しませたくない一心で反射的に口にしていた。
後悔はしていないが、また、ここに来る意味を
考えずにはいられなくなってしまう。
一時の慰めが、自分のためになるのだろうか。
「まこ?」
「…なんでもない。気を付けて。」
「来週までに、”してほしいこと”。考えておいてね」
弘は軽快なウィンクを飛ばして、ゆっくりと扉を閉めた。
真は重く閉ざされた扉の前でしばらく固まった後、
大きくため息を吐いて
ベッドの上に仰向けに倒れこんだ。
まもなく、スラックスのポケットに入れていた携帯が震える。
「はい。片岡です。」
『片岡様。こちらは夢見荘でございます。本日はご利用ありがとうございました。何か気になる所などございましたか。』
「ありがとうございました。気になることは、特にないです。
あと、来週も、同じ時間に、同じ場所で予約お願いします。…田中弘さんで。」
『かしこまりました。では来週も今日と同じ時間で、お待ちしております。ありがとうございました。』
夢見荘との無機質なやり取りは、いつもと変わりなかった。
天井を見上げながら大きく息を吸うと、あのシトラスの香りが
ふわりと漂う。
先程までここで互いを乱し合っていたことを急に思い出して、
両手で顔を覆った。
「俺…何やってるんだろ…」
ここに来る理由は、本当はもうない。
今まで付き合っていた彼女とうまく関係を築けず、
人との関わり方に自信をなくしていた時、たまたまインターネットで
見つけた夢見荘で弘に出会った。
女と付き合えないなら、男と付き合えば良い。
そんな自暴自棄で短絡的な考えの下、ここで初めて男と寝た。
弘は、想像していたような”男娼”ではなかった。
柔らかい物腰と、あの透き通った優しい瞳。
屈託のない笑顔。未だに定義が良く分からない、”犬目”。
そのすべてが「まこと」である確かな理由は、
この”夢の世界”には存在しないのだ。
甘い言葉を囁いて、客をその気にさせ、お金を落とさせる。
それはその通りだとしても、弘に他の何かを感じさせるのは
やはり夢の力なんだろうか。
「仕事…行くか」
ベッドから起き上がって、ジャケットを羽織った。
マッサージの効果なのか、来た時よりも身体が軽い。
どろどろに溶け切った甘すぎる”夢の世界”を身体から切り離して。
真はいつものように、”猫目”をきりりと鋭く尖らせた。
おわり
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