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もはや、悲鳴すら出てこない。その気力すら、颯の腕の中では吸い取られていくみたいで、私は完全に無力化されていた。
「花音先輩といる時間が増えるたび、俺の中で好きがどんどん膨れ上がってくんだよ。それが幸せで、苦しい」
「颯……」
こんなところを他の生徒に見られたらどうしよう。そんなハラハラよりも、颯の腕の中にいたい気持ちのほうが上回る。
さっきより生徒の楽しそうな声も、風の音も、全部が遠くなって──。私は颯のことしか、考えられなくなっていた。
「見てるだけなんて、もう無理だ。声を聞けば話したくてしょうがなくなるし、こうやって触れたら抱き締めずにはいられねえ」
颯の腕の力が強くなる。苦しいけど、それでも物足りなくて。私はそっと、目の前の広い背中に手を回した。
すると颯の身体が一瞬、ビクッと震える。
「私も、もっともっと颯に近づきたいって思ってるよ。颯だけじゃないよ、私……きみの気持ちに早く追いつきたい」
今はこれが精一杯だけど、ちゃんと自分の気持ちと向き合って、確かな手応えを感じられたら。
いつか胸を張って、颯に『好き』って伝えたい。
「ん、でも……俺、待たねえから」
「え……そ、それは……早く心を決めないと、私を諦めるよってこと?」
おろおろしていると、颯から即座に「んなわけないだろ!」と怒られてしまった。
「花音先輩が俺を好きになるのを待ってられるほど、気も長くねえし。その気持ちが、俺に向くように頑張るって意味!」
颯の想いに、私が追いつかなきゃって思ってた。
けど、颯からも私に向かってきてくれるなら、お互いの心が重なるのは遠くない未来かもしれない。
「つーわけで、先輩。今日の放課後、少しだけ時間ある?」
颯は少しだけ私から身体を離して、真剣な顔つきで尋ねてくる。
「花屋の手伝いしてるって言ってたし、無理のない範囲でいいから。ちょっとだけ、バスケ見に来ねえ?」
「え、いいの!?」
「花音先輩に一刻も早く、俺のこと知ってほしいんだよ。先輩を振り向かせるためなら、善は急げだ」
照れてばっかりいた颯が、恥ずかしがらずに素直な心を伝えてくる。
昨日よりも今日、今日より明日。ふたつしか変わらないはずのきみが、どんどん大人びていくような気がした。
「颯……もちろんだよ! 絶対に行く!」
私も待たない。私の心にある蕾が、もっと濃く色づいて花開くまで、自分から颯を知りに行く。
「よっしゃ。そしたら俺、いつもの一億倍頑張る。ちゃんと見てろよな、俺だけ……見てろ」
今まで聞いたことがない命令形。男らしくて、また鼓動が走り出す。
「……うん、見てる。颯だけを見てるよ」
真摯に『見てて』ときみが言うから、私も誠実に返した。
颯は息を呑んだかと思えば、下を向き、噴火前の火山みたいにぶるぶると震えだす。
「み……みみ、み……」
え、耳? それともミンミン蝉の鳴き真似?
必死に謎の奇声の読解に努めていると、ガバッと顔を上げた颯が赤面しながら睨んでくる。
「そんな見られたら、こうしたくなるだろーが!」
苦しいほどの抱擁に、私の思考がぶっ飛ぶ。
手を繋ぐのだってやっとだったのに、これは階段を飛ばし過ぎではないでしょうか!
頭の中は大混乱だ。颯って大胆なのかピュアなのか、ときどきわからない。
「俺だけ見ててって言ったの、颯なのに」
「うっ、そうは言ったけど……。花音先輩の純粋な目がじっと俺を見てると思うと、なんかこう……」
私を腕の中に閉じ込めたまま、颯が俯いてまた小刻みに震え出す。ついに噴火するのかっ、と身構えていたら──。
「身体の内側から爆発しそうなんだよ! 気づいたら俺、肉片になってバラバラに……」
「例えがスプラッターすぎて怖いよ!」
「とにかく、花音先輩の破壊力は凄まじいんだよ。むやみやたらに、男を見つめたらダメだからな」
言ってることが、無茶苦茶だ……。
私の目を見ないようにか、颯は顔を背けている。
少しずつだけど、颯は私の前で伸び伸びとした等身大の姿を曝け出してくれていた。
今日知ったのは、ポーチュラカの花言葉のように『無邪気』な一面があるということ。
「よくわからないけど、わかりました!」
「花音先輩、それどっちだ? つーか、なんで敬語?」
私たちは顔を見合わせて、ぷっと吹き出す。
世界にふたりだけになったような昼下がり。
ポーチュラカは変わってく私たちの距離感を祝福するように、風に揺れていた。
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