三つ目の小石

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(一)  数多の矢が、夕闇を劈いて飛んだ。  矢が飛ぶ先には、ひとりの武将が、立ちはだかっている。  「届かぬ」  年若いその武将は、独り言のように呟いた。  放たれた矢は、あるものは右に逸れ、他のものは左に逸れる。  最も近いものは武将の足元、二寸ばかりの所に落ちた。  が、武将は身じろぎさえしない。  すらりと伸びた長身。  涼やかな瞳。  白色の鎧直垂に白糸縅の鎧を身に付け、白塗りの太刀。  白ずくめの出で立ちである。  背中には切斑の矢を背負い、右手に滋藤の弓を持している。  「危のうございます」  傍らにいた若い侍が叫んだ。  「万が一ということもございます。たとえ腕の立たぬ者の矢でも、まぐれ当たりもありましょう。ここで殿が命を落とされれば、お家は滅亡。無茶はおやめなさいませ」  「無茶ではない」  武将は、落ち着き払って答えた。  「当たる気がしないのだ」  「はあ?」  「面妖なことだがな。当てる気がないと言うた方がいいかも知れぬ。敵を射殺さんとする覇気、殺気が感じられぬ」  「しかし・・・・」  なおも何か言わんとする家来を、武将は右手で制した。  ふたりが言葉を交わす間にも次の矢が飛んで来るが、やはり僅か手前で矢は落下し、左右に逸れる。  「相手の大将があえて弓矢の的になれば、敵は愚弄されたと思い無闇に矢を射んとする。気ばかりあせり、時間と武器を浪費することになる。これこそ、敵の心を制することに繋がる。心を制すれば、すなわち、戦は勝ちだ」  武将はまたぞろ、呟きを繰り返した。  「よほど優れた弓の師範がいる。一体、何者なのか・・・」   この男の持論である。この男は戦に際してしばしば、自ら斥候に出る。斥候に出るに当たっては敵の弓矢の前に身をあえて曝し、敵の心を制する作戦をとって来た。  「それゆえ、こうして白ずくめの姿をしておる。夕暮れでも目に付くようにな」  「はあ。しかし、見てはおられませぬ。命縮む思いでございます」  時は晩春。ふたりが立つ野辺には緑の若草が溢れている。草の丈は高くなく、ふたりの姿は敵から丸見えのはずだ。  ふたりと敵の砦の間には幅四十間余り(約七十メートル)の川があり、天然の堀を形成している。  川の両岸はそそり立った崖となっており、砦は崖の上に立てられふたりを見下ろす位置にあった。  「射方はいいのだ」 
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