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砦の柵の向こうには、柵に沿ってほぼ等間隔に、整然と兵士が並ぶ。いずれも、若い兵士たちだ。それらの兵たちが代わるがわる、規則的に間断なく、矢を射かけてくるのだ。
「上手すぎるほどだ。日ごろ鍬を持ち、田畑を耕しておる俄か作りの兵どもにしてはな」
後に、室町時代と呼ばれるこの時期。
京にある足利氏を将軍に仰ぐ幕府は弱体化し、地方では力を持つ武士たちが自らの領地の保全と新たな領地の支配権を巡って熾烈な争いを繰り広げていた。争いはしばしば、武力行使を伴う。争いが広がれば広がるほど、新たな兵力を必要とした。
そんな中、領主たちはみずからの支配下にある農民たちを兵力と見た。少なからぬ農民たちが農繁期には田畑を耕して年貢を納め、農閑期には兵士として戦に駆り出された。
生まれながらの武士は領主を取り囲むごく僅かの者のみ。大半の兵は鍬を弓、刀、槍に持ち替えた俄か作りの兵士に過ぎない。
「弓を射る姿が実にいい。皆模範とすべき姿を取っている。背筋を伸ばし、的をしかと見据えてたじろがず、よく弓を引いて力を溜め矢を放つ。見事なほどだ」
そう呟く武将の足元に、矢が次々と落ちる。
「敵を褒めている場合ではございませぬ」
家来の侍は武将の手を牽こうとするが、武将は取り合おうとしない。
「何故だ。何故これほど農民どもを鍛えているのに、殺気が微塵もない」
武将の名は、太田持資(もちすけ)という。のちの道灌(どうかん)である。
この時期、京にある将軍家から関東統治の任務を負わされた関東管領という役職があり、上杉家が代々その職に任じていた。持資が当主である太田家は上杉家の家宰という職を奉じている。家宰とは、いわば筆頭家老である。太田家は貴族化し武力を失った上杉家に替わって、実質的に関東の政治的秩序を守る長官の立場にあった。
太田家の主である持資は、関東管領、ひいては室町幕府を守り、関東に住む全ての人々が安寧に暮らせるよう、日々粉骨砕身していた。
きみにおき 民にふしつヽ 朝夕に つかへんとおもふ 身ぞおほけき
持資の歌である。
兵を鍛え、戦略を尽くすのは全て、主君と領民のため、関東に平和を取り戻すためであった。そのためならば自らの労苦は、厭わない。
川の向こうにある砦にいま依っている敵は、峯雄氏といった。
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