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遠目に、物見台を登り切った尼が兵たちに、何かを囁いている様子が見える。
持資の立つところと尼の間には広い川があるため、何を言っているのかは分らない。
なおも持資が注視していると、物見台の下の方から、別の者が紅いものを差し出しているのが見えた。
尼は軽く会釈をすると、紅いものを受け取った。
弓である。
尼は背に負うていた箙から、矢を一本取り出した。
尼が左手に弓を持ち、右手で矢を引き絞ると、夕陽に照らされた紅い弓がキラキラと輝いた。
尼は持資を見据えた。
困ったようでもあり、嬉しげにも見える複雑な表情が、尼の頬に浮かんだ。
ヒュウッ。
尼の放った矢が、持資の頭上を掠める。
矢は正確に持資の頭上、三寸ばかりの空を切ると、持資の真後ろにある松の木の幹に突き刺さった。
弾みで、松の細長い葉が、ぱらぱらと落ちる。
「見事」
先から何十本、代わる代わる数多の兵たちが、矢を放って来た。
その何れもが力なく地に落ちるばかりであったのに、この威力はどうであろう。
尼は矢の行き先を確かめると、弦の調子を確かめるように、指先で弦を撫でた。
「あの女、自分の弓を持っているとは・・・・」
重義が、上ずった声を上げた。
これまで持資に矢を射ていた兵たちの持つ弓は、いずれも黒みがかった地味な色合いのものだ。
尼の持つ弓の紅さは、ひと際目を引く光を有している。彼女のために、特別に拵えた弓、と見て取れた。
重義は持資の腕を掴んだ。
「殿。あの女、格別の腕と見えます。今度こそ危のうござる。ささ、木陰にお隠れを」
「待て」
持資は重義の手を振り解くと、尼の眼を見つめた。
白い布から垣間見える尼の頬は、抜けるように白い。弓を持つ両手は、ふくよかな肌に包まれている。
持資に視線を返す尼の眼には、微かに愁いが浮かんでいた。
「あの女人は・・・・」
持資は独りごつと、松ぼっくりほどの大きさの小石を、幾つか拾った。
拾った小石を、空に向けて投げる。
小石は空高く上がると、放物線を描いた。
ボシャッという水音が上がり、川に落ちる。
持資は二つ目の小石を同じように投げ上げる。
二つ目が川の水面に落ちるのを見届けると、尼は弓を引き絞った。
持資はほくそ笑むと、三つ目を投げ上げた。
尼の紅い弓が撓る。
矢は小石を捕え、水面へと叩き落とした。
「おお」
「さすがお師匠様」
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