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正午を少し過ぎた頃、私は近所の喫茶店に入った。店内はやけに空いている。いや、ここはいつだって空いているのだ。私以外のお客はたったの一人。 「いらっしゃいませ」 落ち着いた店内に合った、品のある男性の声が私を出迎えた。 カウンターに女性が一人座っているのを横目に、私は奥の席に真っ直ぐに向かう。座ると、すぐにマスターがこちらへやってきた。 「真澄さん、いらっしゃいませ。今日はお飲み物はどうされますか?」 「ドアーズのオータムナルって、まだある?」 秋に摘まれたものを指すオータムナル。ドアーズという茶葉を知ったとき、その違いを知るために春に摘まれたものとそれを両方飲んで比べたことを思い出す。紅茶というのに興味がなかった頃には知らなかったそれを、当たり前のように言う自分に苦笑する。 「ございますよ。食事はされてきました?」 「いえ、あまり食欲がないの」 「それなら軽く栄養の摂れるものをお作りしますので、召し上がりませんか?また痩せられたようですし、少しは食べないと」 少し声に心配の色を含んだマスターは、いつ来ても、まるで私がここに来ることを予め知っていたように欲しいメニューを用意しておいてくれる。ここに初めて来てから、もう5年以上が経っていた。 「ありがとう、いただくわ。でも、はじめに来た頃よりはいくらかましになったでしょう?」 私はそう口にした。 初めてここに立ち寄ったのは、三十路を迎えたくらいの頃だった。自由が上手く利かない体に心も沈んで、見るに堪えないほどに痩せこけていた。 「ええ。ホッとしていますよ。真澄さんが笑って下さるようになったことにも」 マスターはそう言って穏やかな笑顔をこちらに向けた。そしてオーダーを用意するため、カウンターへと戻っていった。 そのままカウンターをチラッとだけ見ると、まだ20代半ばほどの女性が彼となにやら楽しそうに談笑を始めていた。すぐに私はバッグに視線を移して、先ほど買ったばかりの本を取り出す。それは、紛れもなく私が書いたものだった。
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