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この短編集は、私が人生で唯一出せた本。 渇望、欲望、熱情、歪、損なう。そんなテーマでとにかく書き溜めた短編を、“本にしてみませんか”と声を掛けてくれたのは、その頃サイトを運営していた内の一人、樋浦という女性だった。私よりもいくらか年齢の高い、やる気に満ちた人だった。 そんなことを思い出しながら、ページをゆっくり捲った。 それは、遠距離で片想いをし続けた女性の話。 基本的に女性を主人公に書いていたのは私自身が女だからなのだろうけれど、どれだけの共感が得られるものなのかも私には少しだって分からなかった。ただ、心にある大切なものを一つずつ掬い上げるように文字にしていただけ。 痛いほどに愛していた彼を、文字に閉じ込めて置きたくて、そうして綴った小説。その想いだけを閉じ込めて、設定を後付けのようにこじつけた。 本屋で彼が言っていたように、あの頃の私は記憶を留めておくことがほとんどできなかった。当時、私は精神薬を飲まなければ生活できない状態だった。薬の副作用だったのか、心を蝕んでいたせいでの影響だったのかは医者も分からないようだった。副作用にたしかに“健忘”という文字はあったけれど、如実に出るほどには量は出していないというのが医者の見解だった。 作家を目指しながら、掛け持ちの仕事に明け暮れ、人間関係にももまれて。いつの間にか溜まったストレスは見事に私を病気にした。それでも私は仕事よりも何よりも、小説だけを大切にしていたような気がする。気がする、というほどにしかあの頃のことは覚えていない。 日を分けて書いた短編は、前日に書いた記憶がほとんど残っていないせいで、まるで一読者のように読んだあと、この主人公ならどうするだろうと想像して書き進めた。それは覚えている。零れ落ちる前に文字にしないと、書きたいものはいつだってその時の“今”しか書けなかった。 あとは、きっと伝えたいものはいつだって変わらず心にあったのだ。変わりゆく中にも、変わらないものが。
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