第1章

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 廃園となったその幼稚園にあるミラーハウスには、矛盾した二つの噂があった。一つは、不幸になる、もう一つは、願いが叶うという。血気盛んな大学生ならばともかく、三十過ぎの俺はそう興味があるわけではない。ただ、仕事となれば別だ。  俺は小さな出版社のオカルト雑誌を担当している。華やかなファッション誌や芸能誌をやってみたいと思うこともあるが、養う者が増えるのだから今の安定した職場を去り冒険することはできない。  そう、新しく家族が増える! 一年前に結婚した妻が妊娠したのだ。生まれてくる子供のために稼がなくては。  というわけで俺は噂を検証した記事を核ために深夜ミラーハウスの前にいた。白い三角の屋根に、円い飾り柱が並んでいる作りだ。  入口近くの看板に、そのアトラクションにつけられたバックストーリーが書かれていた。鏡の迷宮の試練を潜り抜け、女神ミラーの祭壇に祈ることができた者は願いを叶えられる。 つまりは、祭壇をめざせばいいらしい。  それにしても、願いが叶うというこの設定が噂の元だろうか?  懐中電灯を片手に、誰もいないチケット売場を通り抜け、誰かが割った玄関から中へ入る。  夏の特集に間に合せるために、今はまだ春なのだが、風が通らないからか、中は少し暑い。持っている灯りが鏡に反射を繰り返して明るく見えた。  一歩歩くごとに足音が響き、まわりを取り囲む無数の自分も一緒に動く。前に聞いたことのある、鏡にまつわる怖い話が頭に浮んだ。  十二時に、合わせ鏡をすると、無数に連なる鏡の奥から悪魔がやってくる。カミソリを加えて水鏡を覗き込むと将来の結婚相手が見える。あるいは、自分の死顔が見える。  まわりはたくさんの自分でいっぱいだ。同じ短い黒い髪、同じ黒いシャツ、同じデニムのパンツ。同じ白のスニーカー。黒、黒、青、白。 黒、黒、青、白。 茶、赤、白、茶。  ミラーハウスの中では見慣れない色を見付け、俺は振り向いた。  鏡に映っているのは短い黒い髪ではなく、長い茶色の髪。黒いシャツではなく、肩を出す赤い服。青いデニムではなく、白いスカート。白いスニーカーではなく、茶色いパンプス。 「ミキ?」  それは俺の妻の姿だった。鏡から抜け出したミキは、俺の体をも擦り抜けていく。驚いて俺は振り返る。
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