2/5
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/17ページ
とりえず、落ち着け、と佐藤俊介は自分に言い聞かせた。 心臓が自分の物ではないかのように、勝手に大きな音を立てて鳴り始めそれと同時に軽い眩暈を覚える。 買おうとした本を手にしてレジカウンターに並んだまでは、いつもの日常だった。いつもの近所の書店。全国展開している、どこにでもある某大手書店だ。そこにいつものように新刊を購入しようと足を運び、本を手にし、レジに行った。しかし、そこからほんの数秒で、俊介のこれまでの、約8年間の平凡なモノクロの日常がひっくり返ったのだ。   レジに立っている、林先輩に気付くまでは。 俊介は高校生の時、担任のすすめで吹奏楽部に所属していた。田舎のほうの高校にしては珍しい部員数100人近くの大所帯で、皆全国大会を目指し年中練習に明け暮れるような熱血部だった所為もあり、全くの初心者で入部した俊介は練習に付いていくだけでも精一杯だった記憶がある。―林先輩はその時の2つ上の先輩だ。   あれは、確か静岡に遠征に行った時の夜だった。宿泊したホテルで、同じパートの侑里に用があり彼女の泊まっている部屋に行きノックをしたのだが、出てきたのは侑里ではなく林先輩だった事があった。 パート関係なく先輩後輩で部屋割をされていたため、よくよく考えれば林先輩が出てきたことは別に驚くべきことではなかった。しかし、出てきた彼女は入浴後で、胸元まである長い髪がしっとりと濡れていて、いつものポニーテールではないその様に、変に俊介は動揺してしまったのだ。 「―何?」 表情を変えずに林先輩に言われ俊介は我に返った。 「あ、あの里田はいますか?」 「…あぁ、ちょっと待って」   里田―と抑揚のない声を出しながら林先輩が部屋の奥に消えたかと思うと、すぐにバタバタと落ち着きのない足音を立てて侑里が顔を出した。 「どうしたの?」 …女子、というよりは、女の人だったな。そんでいい匂いがした。 「俊介、どうしたの?」 「あ、えーと…。あれ、なんだっけか…」 一瞬で言いたかったことを忘れていた。変なの、といぶかしげな表情を浮かべる侑里を前に、俊介はそこで自分がとても胸を高鳴らせていることに気付いた。 レジに、こんな所にいるはずのない先輩が、なぜかいる。
/17ページ

最初のコメントを投稿しよう!