チーズケーキ屋の店主とパンケーキ

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 この赤羽の街は明治時代以降、日本軍の基地『軍事都市』として発展した。  軍事都市になった赤羽は、鉄道が整備され、軍隊が住み着くようになった。それから赤羽の街は変わり、娯楽や買い物の為に栄えたと言われている。それに伴い、居酒屋などの飲食店が沢山出来た。  この街に小さな居酒屋が多いのも、おそらく軍事都市として発展し、街の人に愛され、定着したからだろう。    しかし昭和に起こった太平洋戦争では、軍の施設が多かった為、空襲で焼かれた。    僕が住んでいるのは昔、軍の施設が多かった赤羽駅の西口側だ。  駅前のショッピング施設の前を通り抜け、道路を渡ると閑静な住宅街に一変する。  これは東口も同じだ。ただ東口と西口の住宅街の違いは、東口は一戸建ての家が多いのに対し、西口は主に集合住宅が多い。    坂道が続く高台に、マンションやアパートも多い。数えきれないほどの団地が点在している。  赤羽の西口側に団地が多い理由は、高度経済成長期に、東京二十三区で初めて作られた、大規模な団地集だからだ。
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