第四章

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 まったくだ、と二人の会話を聞いていた真夏は、牛車の屋形の御簾を下ろしながら、心の中でつぶやいた。 (姫にふさわしいのは、この俺だ)  けれど、と牛車の後ろについて、真夏は思う。 (あいつは、地方官とはいえ役職についている。穴多守の屋敷の様子を見れば、裕福なこともわかる。それに比べて、俺は無官だ)  自分に足りないものは地位だけだと、真夏は牛車の屋形をにらみつけた。血筋は申し分ない。家の財は身に合った程度にある。都では風変わりと言われる姫の過ごし方を、その笑顔を、真夏は心から愛おしいと思っていた。どこを探しても、そんなふうに受け止める者はいないだろう。 (姫の遊山が終わり、都に帰れば父や兄を通じて、官職を授けられるようにしよう)  どの官職であっても、朔の父親と比べれば小さなものだ。けれど先行きの明るい有能者と判断されるよう役職に励み、出世の道が太いと思われれば、姫の夫として許されるかもしれない。 (姫に文を読んでもらえるようにも、ならなければ)  都に戻り役職にありつけても、朔が自分からの求婚の文を目にしてくれなければ、何の意味も無い。どんなに言葉を尽くしても、読んでもらえなければ、何も書いていないのと変わらない。 (これほど胸が苦しくなったことはない)  いくつかの恋を、真夏は経験していた。けれどこれほど強く、激しく胸がひきつれるような心地になったのは、はじめてだった。童女のようにはしゃぎ、笑う朔の姿を見るたびに、真夏の胸は春の陽だまりに包まれたように、心地よくなる。里の者らに対して、何の気兼ねもいらないと気さくに接する態度に、真夏は自分の器の小ささを感じた。彼女はまるで、身分や血筋のへだてなく、人々に与えられる風や、日差しや、雨や――そう、人智を超えた神々しく美しいもののようだ。  いくら心の中で彼女を称えても、それを朔に伝える術を、真夏は持っていなかった。あくまでも別荘で過ごす間は、真夏は彼女の家人なのだ。里の者たちと遊ぶ彼女に、家人が声をかけてはいけない、という法は無さそうだが、きっかけが無ければ、いきなり声をかけるわけにもいかない。
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