第四章

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 芙蓉のほかに彼女に声をかける者を、真夏は見たことが無かった。それはなぜかと、古くからの下男らしい男に聞いたことがある。 「こちらからの用は芙蓉様がすべて、先んじておっしゃられる」  下男はそう答えた。芙蓉は朔が年端もいかないころから屋敷に来て、まるで姉妹のように育ったのだという。姫の手本になるようにと、さまざまな教育を朔と共に受けてきた。  だからか、と真夏は芙蓉の物腰や所作に納得をした。女房というよりも、どこかの姫であると言われるほうが、しっくりとくる。芙蓉は裁縫もうまく、姫の着物は彼女が縫うのだと、下男は言った。 「何もかも、芙蓉様が手抜かりなくなされるので、こちらが言うことは、なにもなくなるのです」  下男は軽く頭を下げて、それではと用事をしに去っていった。他の誰に聞いても答えは同じようなもので、芙蓉は彼らにとって敬い慕う相手であるらしい。 (そこまで完璧な女房など、いるだろうか)  できすぎている気がすると思いつつ、けれど実際に目の前にいるのだから、納得をするしかない。真夏が朔を目にするときに、芙蓉が傍にいないことは無かった。芙蓉は常に朔の傍にいて、彼女の周囲に気を配っている。朔は持ちうる全ての信頼を、芙蓉に向けている。それを、初めて二人の姿を見たときから感じていた。 (あのような信頼を、俺にも向けてくれれば)  芙蓉を、朔の姉だと思っている里の者は少なくない。本物の姉妹でも、これほどに仲むつまじいことは無いだろうと思うほど、彼女たちは心を添わせているように見えた。 (姫に文を通じてもらうには、まずは芙蓉殿の信頼を勝ち得なければならないのではないか)  芙蓉が「この文だけでも、目をお通しください」と言えば、朔は乗り気でなくとも、読むだけはしそうに思える。目を通してもらえれば、別荘で過ごしていたことを文に記し、ありのままの姫を慕っていると、彼女に伝えることができる。 (だが、どうやって)  どうすれば芙蓉と仲良くなれるだろう。どうすれば、自分が本当は何者なのかを伝えられるだろう。  真夏は考えた。  芙蓉は、朔が「変わり者」と言われている事を、嫌っているわけではないらしい。朔が笑い者にされなければ、気にも止めないようだ。むしろ、ウワサを歓迎しているようなフシがあると、真夏は見ていた。
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