三章 寒空のした

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「……激し、かったな」  珈琲の琥珀色をした飲み跡が残る二つのカップをシンクに入れて、新しく棚から取り出す。  普段は使わない、来客用の小綺麗なカップには、矢車菊の絵が焼き付けられていた。真っ青の花弁は、サファイアを思わせる。  随分と軽くなった珈琲缶の蓋を開けると、ちょうど一杯分の豆しか残っていない。随分と、飲み過ぎている。  零さないように注意しながら、ミルに豆を全て流し込む。  ハンドルを回して豆を挽き、ドリップポッドを手元に引き寄せた。濾紙は高価なので、寝起きや手を抜きたいときにはおもにこちらのドリップポッドを使っている。  決まった一連の動作は、ぐるぐると回転し続ける思考を、いったん素の状態まで引き戻してくれる。  なにも考えず、ただ、体が覚えている動作をこなす数分は、ビーシュにとって何よりも癒やされる時間なのかもしれない。 「新しい豆を、買ってこなくちゃね。白湯を啜っているだけなんて、余計に人生が寂しくなってしまうよ」  食費は躊躇なく削れても、珈琲を切らしたとたん、いてもたってもいられなくなる。まるで、アルコールに依存している酔っ払いだ。     
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