三章 寒空のした

5/55
前へ
/289ページ
次へ
「……今日は、とてもじゃないけど作業ができそうにないなぁ」  体は重いし、心は上の空だ。  真摯に仕事に向き合えるような状態ではない。  無理を押して仕事をすれば、中途半端な仕上がりにがっかりするのが目に見えている。  ビーシュはカップの珈琲を全部飲み干して、シンクに置いた。いつもはフィンが片付けてくれるのだが、彼はまだ当分戻ってこない。  石けんを泡立て、汚れをこすり落としながら、ビーシュは気持ちを切り替えるよう今日の予定を頭の中で組んでゆく。  幸いにも、天気は良い。  昼までぶらぶらと街を歩けば、少しは気が晴れるだろう。  なにより、新しい珈琲豆を買わなければいけない。レオンハルトとのランチの次に大事な用事だ。 「いっときの夢でも、いいじゃないか」  不幸ばかりでは、生きてゆけない。  何れ真実に気付いて離れてゆかれるのだとしても、今の一瞬は、夢に見た幸せを体験できる。 「寂しい朝は、やっぱり嫌だからね」  来る者は拒まず、去る者は追わず。ビーシュなりの処世術だ。  手招きをされたらそばにはゆくが、踏み込みはしない。自分なりの距離を取ることで、弱々しい心を守っていた。     
/289ページ

最初のコメントを投稿しよう!

690人が本棚に入れています
本棚に追加