三章 寒空のした

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 時間の経過を鮮やかに残すソファーが並ぶ、穏やかな雰囲気の店内に漂う珈琲の匂いに、ビーシュはとろりと目尻をさらに緩めた。 「豆を買い忘れるほど忙しかったのかな?」 「ええ、まあ……珍しく、忙しかったのかな」  仕事で忙しいわけではないところが、どうしてか後ろめたく思える。  レクトはビーシュの遊びを知らない。少し臆病だが、珈琲好きの気の良い医師といった認識しかないだろう。  騙しているような気分になって、いビーシュはそそくさと、様々な種類の豆が並ぶ棚に移動する。  レクトもついてこようとしたが、いつでも盛況なカフェは夫人一人で切り盛りするのは大変だ。  ビーシュは、困ったら呼ぶからと断って、いつも選ぶ、手頃な豆の棚よりも少し奥で立ち止まった。  少しなら、奮発してみても良いかもしれない。  輸入品である珈琲豆は、どれもこれも少し高かったり、だいぶ高かったりする。  つまりは、上層階級の嗜好品だ。  軍医でなければ、宝石研磨の腕がなければ、口にする機会もなかったかもしれない。 「なにか、良いことでもあったのか?」  ふわりと珈琲の苦みに混じる、甘い匂い。白昼堂々、目立つ軍服姿の男が片手に高級豆を持ったままビーシュの隣に立った。 「エフレムくん、お久しぶりだね」 「なんだか、同窓会みたいだな。懐かしい顔ぶれが、そろいもそろって」     
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