三章 寒空のした

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「卑しい口で、軽々しくあの人の名前を呼ばないで欲しいね」  財布からさらに紙幣を一枚引っ張りだし、かなりの高額を、ニルフはビーシュのシャツの胸ポケットにねじ込んだ。 「いいな、レオンさんは俺の姉と婚約している。手切れ金に味をしめて、また周りをうろついてみろ? 今度は、ただじゃおかないからな」  返事はできなかったが、ニルフは呆然と立ち尽くしたままのビーシュに満足したようで、財布をしまって背を向けた。  背後で、馬のいななきが聞こえてきた。乗る予定の馬車かもしれないが、ビーシュは一歩も動けなかった。 「遊び、だったのかなぁ」  浮かれていたぶん、突き落とされた落差は激しい。  どうして、レオンハルトは婚約者が自分を抱いたのだろう。遠征から帰ってきたばかりで、いろいろと溜まっていたのだろうか。  ニルフの言葉が、ぐるぐると頭の中を回っている。  婚約者。  きっと、美しく若い女性だ。むさ苦しい男よりもずっと、よく似合いそうだ。 「……勘違いにも、ほどがある。ぼくにかまってくれるわけ、ないんだよね」  レオンハルトは、若く有能な軍人で、貴族でもある。  決まった相手がいないわけがない。 「ばかだよねぇ……ぼく」     
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