三章 寒空のした

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 ぎゅっと紙袋を抱きしめて、ビーシュは停留所ではなく、来た道を戻るよう歩き出した。  工房には、まだ処分していないレオンハルトの匂いが染みついたシーツがある。  情事を思い出す場所に、今すぐには戻れなかった。 「ぼくなんて、まともに相手されるわけがない。どうして、勘違いしちゃったんだろう。何度も、何度も……ほんとうに、懲りないね」  ため息に、苦笑いが混じる。 「どこで、時間をつぶそうかな?」  夜の街に繰り出すには、まだ、時刻は早い。  工房には戻りたくなかったので、スラム近くの自宅まで歩いて戻ることにした。  もう、ずっと帰っていないから、掃除なり換気なりはしたほうがいいかもしれない。  ちょうどいい。  ビーシュは顔を上げて、歩き出した。  大丈夫。  いつものことだ。  レオンハルトのことだって、すぐに忘れてしまうだろう。  ポケットの中には、小さなサファイアがある。研磨したてのきらきらと輝く宝石は、いくらで売れるだろうか。
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