五章 心と口と行いのなかに

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 知る人ぞ知るといった雰囲気の店に入ると、ビーシュの匂いがした。苦く深い、珈琲の香りだ。 「すみません、ビーシュを知りませんか?」  注文よりも先に人を訪ねるレオンハルトに、カウンターに立っていた店主らしき男性は「先日、豆を買いに来ましたよ」と返してくれた。 「そうですか、ここには来ていないんですね」  レオンハルトが知りたいのは、昨日、別れてからの足跡だ。 「ビーシュを探しているのか?」  カフェスペースのソファ席から、煙草嗄れした声が掛かった。  昼間から軍服を着て、カフェでまったりと珈琲をたしなむ男。年の頃は、ビーシュと同じくらいだろうか。 「俺は、エフレム・エヴァンジェンス。階級は大佐だ。知らないかい? 同じ軍人なら、悪評の一つや二つも知ってそうなんだがね」  レオンハルトは面識がないが、エフレムはどうやら知っているようだ。  久しぶりに再会した友人に対するような気軽さで口を挟み、立ちあがった。 「君はたしか、オスカーの三男坊だな。君のような子が、ビーシュを知っているとは驚いた」 「ビーシュのご友人ですか? 自宅にも工房にもいなくて。一緒に珈琲を飲もうと約束していたんですが」  藁にもすがる思いだった。レオンハルトにはもう、何一つ手立てがない。     
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