一章 矢車菊の青い瞳は

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 聞かれたところで、ビーシュにはよくわからない。四十二年間の人生で、満たされた経験はただのいちどもない。  装具技師としての仕事は、やりがいがある。普通の医者や軍人と違って扱いは低いが、心を込めた分だけ返ってくるものもある。  レイやルイの好意だって、ビーシュの仕事からつながっている。  捨てろといわれたところで、捨てきれない大事な繋がりだ。  けれど、懸命に働いてはいるが、飢えはつねにビーシュの中にあり続けていた。  だからこそ宝石を磨き、男を買っている。どれも、ビーシュの手がつかんでいられるわずかな糸で、優劣はつけがたい。 「すまないね、困らせるつもりはなかったんだ。もちろん、責めているわけでもないよ。ただ、君の持つ技術があまりにも素敵だったから。私が勝手に、惜しく思っただけだ。君には、君の生き方がある。年若い子でもないんだ、無理に変える必要もない」  少し迷ってから、ビーシュはこくりと頷きかえした。深く入り込みすぎない、絶妙な加減の好意は心地良い。  頭を撫で、うなじで結んだ髪をいじり体を離したエヴァンに、ビーシュはほっと息をついて上着のポケットに片手を突っ込んだ。  つるっとした丸い球体の冷たい感触に、すこしばかり心が落ち着くようなきがした。     
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