二章 真実の口

4/55
前へ
/289ページ
次へ
 心配したじゃないですか。頬を膨らませて怒るフィンの顔が、くっきりと脳裏に浮かび上がってくる。   体調の心配をされるのは嬉しいが、だからこそ、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。  珈琲の缶を棚に戻し、ビーシュは少し冷めた白湯をそのままカップに注いだ。  作業台には戻らず、キッチンに体重を預けたまま白湯を飲むと、暖かい吐息が煙となって静かな工房を漂う。 「どうして、昔のことばかり思い出すんだろうね。季節のせいかな」  ここ最近は助手のフィンが側にいたので、仕事のことだけを考えていられた。  勤勉なフィンはビーシュを軽んじることなく、装具技師の師として敬ってくれた。  あちこちに視点が飛びがちなビーシュのつたない会話を、辛抱強く聞いてもくれる。若いのに、良くできた青年だ。  誰かと話すのが楽しいと思えるようになったのは、フィンのおかげだろう。 「そうか、ぼくはきっと寂しいんだ」  好きになればなるほど、大事に思えば思うほど、手放す瞬間を感じずにはいられない。  楽しかったものすら、手を離れた瞬間、色を失い。すべて、灰色の過去となる。 「ぼくは、馬鹿だな。ほんとうに、馬鹿だ。どうして、自分で全部台無しにしてしまうんだろう」  大切なものを、色あせないまま抱えていることができない。     
/289ページ

最初のコメントを投稿しよう!

690人が本棚に入れています
本棚に追加