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「あんたがそう言うなら――当ててやろうじゃないか」
囁くように、一刻は呟いた。
幼い頃に歩き暮らした、薄暗いオレンジ色の地帯。
母といっしょにいくつも通り過ぎた、あの色に染まった町の一つ。
その中の、どこかにある。
母が「決して行ってはいけない」と言った、あの場所が。
『だめ、一刻』
ふと何気なく、そこへ向かおうとした一刻の腕を、母は強く掴んで引き戻した。
『行くな。あそこは、近づいちゃいけない場所だから。あそこにだけは、何があっても、絶対に行っちゃだめ。――いい?』
あのときの母の目を、一刻は、今でもまざまざと思い出すことができる。
オレンジに染まった景色の中で、一刻を睨みつけた、あの人の瞳の色を。
あのときを境にして、一刻の思い出の中の情景は、次第にオレンジの色を薄め、明るく、鮮やかに彩られていった。
「あそこに――何が、あるんだろう」
母が、遠ざけようとしたもの。遠ざかろうとしたもの。
それがなんなのか、知りたかった。
あの場所にたどり着くことができたら、そこにはきっと、答えに繋がる何かがある。
「そう考えて……いいんだよな?」
うつむいて、一刻は、不安の混じった笑みを浮かべた。
「だって、そうでもなきゃ、お手上げだ。さすがに、まったくのノーヒントで、あんなこと言ったわけじゃないよな? ……母さん」
母は、そこまで人の悪い人物ではなかったと、信じたい。
ただ――それ以前に、そもそもの大きな問題として、だ。
たった一度、ずっと昔に訪れただけのあの場所を、今になって自分一人で探し当てることなど、本当にできるのだろうか。
「ま……やるだけ、やってみるしかない」
小さく溜め息をついたあと、一刻は、再び太陽に背を向け、歩き出した。
地面を踏み鳴らして歩くのは、もう疲れた。
だから、粒チョコレート入りの紙筒をもう片方の手に持ち替えて、それを振りながら歩く。
カシャカシャ、カシャ、カシャ、カシャ。
喉か足が休まるまでは、こうしてチョコレートを振っていよう。
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