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この曲の本当のメロディー。
それを、一刻が知る術はない。
時間の流れる世界では、音楽を再生する機械というものがあるのだろう。
だが、時を止めたこの世界で、その手の機械は動かない。
手動で動かせるものなら、あるいはなんとかなるかもしれないが。
でも、手動で音楽を流せる機械――以前読んだ本には、「レコード」や「オルゴール」といったものであればそれができる、と書いてあった――で聞ける曲は、限られているという。
母のお気に入りのあの曲は、どうなのだろう。
それが「レコード」や「オルゴール」で聴けない曲なら、やっぱり、一刻には永遠にそのメロディーを知ることができないのだ。
それでも、一刻は、かまわずこの歌を口ずさむ。
なるべくずっと、音を生んでいたいから。
歌でもいい。
独り言でもいい。
足音でもいい。
粒チョコレートが筒の中でぶつかり合う音でもいい。
なんでもいいから、とにかくいつも、何かの音が欲しいのだ。
隣を歩く足音も、一刻の言葉に応える声も、もう、存在しないから。
自分以外に音を生み出すものは、何もない。
自分が音を立てるのをやめれば、その途端に、世界中から音が消える。
この世界が、隅から隅まで静まり返る。
その静寂が、いまだに耐えられない。
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