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この世界の時を止めたのは、母だという。
母は、世界の時を止めたあとで、そのときすでに身ごもっていた一刻を産んだ。
家族も、友人も、通行人も、医者も――母自身とその胎内にいる子ども以外の、すべてのものが時を止めたあとの世界で。
誰の助けも借りられず、一人きりで痛みを耐えて、血を流して。
それで母子共々に生き延びられたのは、きっと相当に運の良いことだったのだろう。
けれど。
運が良かったのは、あるいは一刻のほうだけで、母は決して強運の持ち主というわけではなかったのかもしれない。
まったく不意のことだった。
駅前広場の人ごみの中を歩いていたときだ。
母は突然、立っていられないほどの頭痛に襲われて、呻きながらその場に座り込んだ。
『母さん、大丈夫?』
『ん……。ごめん。ちょっと、ここで休ませて』
『頭、痛いの? どっかから頭痛薬、探してこようか?』
一刻のその言葉に、いくらかの沈黙を経て「頼む」と返した母は、もしかしたらその時点で、すでに察していたのだろうか。
そのとき母を襲った頭痛が、どういう類のものであったのかを。
一刻が、近くのドラッグストアから頭痛薬を取って、広場に戻ってきたとき。
母は、人ごみの中で、仰向けになって地面に横たわっていた。
めいめいの歩き姿で時を止めた通行人たちの、その足の林の隙間に、体をねじ込むようにして。
そうして暇でも潰すように、動かない通行人たちの顔を地べたから眺め、痛みに歪んだ顔で、力なく笑っていた。
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