1.時間の止まった世界 -パウダーブルーの空-

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『……何?』 『……これ。……わたしとこうと、おもって……』 そう言って、母は、懐中時計を――時計に付いた鎖を絡ませた指を、一刻のほうへ差し出した。 鎖から、母の指がほどけて落ちる。 一方で、母の指を離れた鎖と時計は、そのまま空中で静止する。 一刻は、手の平ですくい上げるように、そっと時計を掴んだ。 時を計る機械。 時間の流れが存在しないこの世界では、なんの役にも立たないもの。 だからこそ、それを渡された意味が、一刻はなんとなく理解できた。 『ねえ……母さん』 動かない時計の針を見つめて、一刻は言った。 『ひとつだけ、聞いてもいい?』 『……ん』 母は、呻きに似た声を億劫そうに押し出した。 その一声(ひとこえ)は、もはや返事なのかどうかも定かではなかった。 だが、どちらにせよ、答えたくなければ、この人は答えることはないだろう。 そう思い、一刻は尋ねた。今まで、ずっと聞けずにいたそのことを。 『母さんは、どうして、この世界の時間を止めたの?』 時計を手の中に包み込んで、一刻は、地面に横たわる母に目を落とした。 母は、笑った。痛みに顔を歪ませながら。 だけれど、たとえ身体(からだ)の痛みに苛まれていなかったとしても、そのときの母の笑みは、どのみちやはり苦笑であったのかもしれない。 母は声を出すことなく、唇だけを大きく動かして、一刻の問いに答えた。 あの人が答えとして選んだ、五文字の言葉。 その中に、唇をすぼめる音が一つも含まれていなかったので、ゆっくりと声なく五文字を紡ぐ間、母の笑みは途切れることがなかった。 それからほどなくして、目を閉じた母は、動かなくなった。 苦しげな息も、痛みに呻く声も、身じろぎの音も、何一つ、聞こえなくなった。
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