8人が本棚に入れています
本棚に追加
世界の果てまで続く静寂。
それを自分の口元で破って、一刻は、囁くように母へと語りかけた。
『俺さ……昔から、あんたが寝てる姿を見るたび、怖かった。
静かに眠ってて、ぴくりとも動かないあんたを見るたび、あんたも、時間の止まったほかの人たちと、同じようになっちゃったんじゃないかって。
こっち側じゃない、〈向こうの時間の世界〉に、行っちゃったんじゃないかって。
何百回も……何千回も……数えきれないくらい、そんな不安に怯えてきたんだ。
……でも』
一刻は、長く伸びた母の髪の毛をいくらか、指先でつまみ上げた。
指を離すと、その髪の毛は空中に留まることなく、はらりと元通り地面に落ちた。
それは、彼女が確かに一刻と同じ時間を過ごした「仲間」であり、今尚(なお)そうであり続ける存在だという証だった。
一刻は、小さく微笑んだ。
『結局、あんたの言ってたとおりだった。あんたは、世界の時を止めることはできても、時を止めたこの世界を抜け出す力は、持っちゃいなかった』
一刻は、しばらく母を見つめたあと、立ち上がった。
そして、母から渡された懐中時計を、母がいつもそうしていたように、自分の首に掛けた。
『この時計の針が、動くところ……俺も、見てみたかったな』
呟いて、一刻は、その場でぐるりと一回転し、その間に、周りの景色をあらん限り見回した。
人々を。
道路の車を。
ビルの群れを。
色とりどりの看板を。
雲のある空を。
影が落ちた地面を。
母が動かなくなっても、何も変わることのなかった、その世界を。
最初のコメントを投稿しよう!