第1章

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   シティホテルに泊まったときの事です。夜、廊下で話し声が聞こえました。  廊下の声は部屋に丸聞こえになりやすい事を知ってか知らずか、無頓着な人が割と多くいます。だいたいが、明日の集合時間を確認したり、呑んだ後の酔っ払いの会話ですが、この時は違いました。 「ねえ明日の朝食さあ、洋食と和食どっちにするぅ~?」 「え、両方食えねえの? ビュッフェっしょ?」  男女の声でした。今回ホテル側がグレードアップをしてくれたおかげで、一人でもツインの部屋だったため、周りは二人連れが多いのでしょう。  夜半の男女の無神経な会話に苛立ちを覚えました。 「それがさー、別会場でのビュッフェみたいなの。和食と洋食。だから決めなきゃ」 「マジかよ。どっちにしよ」 「私、梅干し食べられないんだ~」 「俺、半熟のスクランブルエッグ無理」 (そんな話は部屋でしろ!)と心で怒鳴りました。その直後です。 「そんな話は部屋でしろ!」  一瞬、自分の心の声が漏れ出たのかと思いました。  誰かが怒ってくれたのです。しゃがれた中年男性の声でした。 「……すみませんでした」  男の謝る声が聞こえました。意外と素直だなと思いました。  でも相手は許す気がなさそうでした。 「罰として、明日の朝食は別々に食べろ。女のお前は梅干しだけ食いに、日本食の方に行け。男の方は半熟のスクランブルエッグだけ食いに、洋食の朝食会場に行くんだ」 「なにいってんすか」 「冗談だと思っているのか? 本気だ。しっかり見張っているからな。もしも逃げたり、他のもの食ってたりしたら、どうなるか分かっているか?」 「わ、分かんねえよ」 「朝食だけでなく、一生それしか食えなくしてやるよ。ずっとずっとお前達は、梅干しと半熟卵だけを食うことになるだろう」   『刃向かうと怪我することになる』とかの脅し文句がずっとマシに思えるほど、嫌な一言だと思いました。  食えなくする方法なんてないだろうし、嘘っぱちなのは分かるのですが、その声の迫力には、「もしかしたら本当にこの二人は、梅干しと半熟卵しか食べられなくなるのでは」と思わせる何かがありました。呪い、それよりももっとリアリティのある凄みでした。  二人にもそれは伝わったのでしょう。 「やだ……」という彼女の声の後に、男はもう一度刃向かいましたが、その声は震えていました。
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