二章 変わりたい

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近藤は、慌てて満月の話のメモをとる。 満月は、覚えている内容を口頭で聞き取りやすい速度で、もう一度教えた。 「あー、焦った。ありがとな、丸谷」 満月は、お礼を言われるとくすぐったような、罪悪感が芽生える。 勉強のためというより自分の趣味のために、メモを取っていただけで下心があったのだ。 それをかき消したいがために 「私の勘違いかもしれないから。お礼なんて言わないで」 と謙遜する。 しかし近藤は、控えめなところが満月らしいと、笑うのだ。 そして、近藤は、もう一度「ありがとう」と屈託なく笑う。 満月は、近藤につられて満月も自然と笑みがこぼれた。 自然に笑わせてくれる近藤に、満月は、やはり彼は不思議の国の住人ではないかと脳裏に過る。 ドリンクバーを何度も往復して、集中力も切れてきた頃、満月は、今まで疑問だったことを思い切って聞いてみた。 「漱石の名前は故事からだけど、伊佐見君の名前って新選組の近藤勇から?」 満月は、同じクラスになってからずっと、近藤の名前は小説に出て来そうだと夢のある名前だと思っていた。 ただ、夢のある名前は本人にとって良いものとは限らないということも知っている。 自分がそうであるように。 満月は、カフェオレの沈んだ砂糖をストローでかき回して、手持ち無沙汰を誤魔化す。 近藤は、時間が経って少し炭酸の抜けたコーラを氷ごと豪快に口に含めて、飲み干すと肩をすくめて頷く。 口に含んだ氷が近藤の頭をキーンと攻撃する。 近藤は、頭に手を当てて、やり過ごすとようやく喋りだした。 「うちの父さんが新選組が好きなんだ。それで、伊佐見って名字なんだし、せっかくだから近藤(こんどう)って漢字を使うって言って近藤。なんか、キラキラネームみたいで恥ずかしいだろ? だから、皆には「ちか」で通してるんだよ」 満月もそう呼んだ方が良いのかと言葉に詰まっていたが、近藤が見透かしていたように、 「いいよ、丸谷は。好きに呼んでくれれば」 優しく言う。 好きだなんて単語が出るものだから、満月は心臓が一度だけ跳ねた。 さすがに自意識過剰だと近藤がドリンクを取りに行く間に長く息を吐いて、大袈裟に飛び跳ねる心臓を静める。 戻ってきた近藤は、今度はメロンソーダで喉を潤すと話の続きを始めた。 「丸谷の名前もマンゲツって漢字は珍しいよな」 満月は困ったように笑う。 そして、何度も陽奈子から聞かされた話を振り返る。 自分の名前が普通と違うことに、違和感と恥じらいを覚えてこれまで陽奈子と幾度となく口論した。 最近では、言っても無駄だと諦めて大人しくしているが、なるべく目立ちたくない満月にとって、この名前は酷なものだった。 「私もこの名前、恥ずかしくて。私が産まれる時に見た月が満月で、綺麗だったんだって。本当は、光と希望の希でミツキと書く予定だったらしいんだけどね。満月を見て今の名前にしたんだって、お母さんが言ってた」
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