221人が本棚に入れています
本棚に追加
なんとも返事のしようがなくて、僕がモゴモゴしていると秋生さんは名刺をくれた。
「怪しい者じゃないから、安心して。この店に入りづらいのなら、慣れるまで一緒に入ろうか」
「……いいん、ですか?」
「いいもなにも。君は、自分を取り戻しにここに来たんだろう?」
その通りだった。
同性愛者である自分を認め、受け入れてくれる場所を求めて、僕はここに来た。それを見透かされたことが恥ずかしくて、けれどうれしくて、体中が熱くなる。
「ありがとうございます」
連絡先を交換しようと慌ててスマートフォンを取り出した僕の手を、秋生さんはやんわりと押しとどめた。
「僕は毎週、金曜日の夜に来るから」
「えっと、あの」
「そう簡単に、相手を信用してはいけないよ」
名刺をもらっても、信用しちゃいけないんだろうか。
そう思ったけれど、声には出せなかった。言えばものすごくダサい気がして、僕は「わかりました」とスマートフォンをカバンにしまった。
それから、どんな会話をしたのかはっきりとは覚えていない。しゃべっていたのはほとんど僕で、秋生さんは静かな笑みをたたえて時々グラスに口をつけていた。内容なんて、あってないような会話だった。
そう。
たわいないけれど、ちゃんと会話をしているという実感のある、充実した夢のような時間だった。
終電が近づいて、このまま秋生さんとどこかへ行きたい気がしたけれど、まっすぐ駅まで送られて「それじゃあ、また」なんて言われたら、食い下がれない。
秋生さんはどこに行くのか、改札を通った僕に背を向けて、ネオン輝く夜の街に戻っていった。
完全に、ひとめぼれだった。
それから僕は毎週金曜日、必ずバーに顔を出した。目当てはもちろん、秋生さんだ。入り口で出会えることはまれで、だいたいはどちらかが先に店内にいた。
秋生さんは僕を見つけると、誰かと過ごしていても断りを入れて、僕の隣に来てくれた。その中で明らかに、秋生さんと艶っぽい関係なんだろうなと思わせる相手がいた。その人は秋生さんとおなじか、それよりもすこし年上に見えた。スーツのよく似合う、大人の男だ。
大学生の僕からすれば、それは父よりも年下の、けれど立派なおじさんだった。なのに秋生さんには、おじさんという単語が似合わない。そう思うのは、僕が秋生さんに惚れているからだろう。
最初のコメントを投稿しよう!