湾岸戦争編

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さすがにこの人道を無視した(今更だが)行為には各国の反発が相次いだ。 イラクは仕方なく12月中には全ての人質を解放した。 (#^ω^)「ちくしょー人を悪者みたいに!米帝め!」 (;´・ω・`)(やっぱり・・・) 更に1月半ばを撤退期限とし、撤退がなされない場合には武力行使を容認する 決議を採択した。    101: 猪(今日もカップラ): 2006/12/30(土) 22:39:12.48 ID:e87+/04r0    (;´・ω・`)「大統領・・・撤退しますか?」 (#^ω^)「臆病風に吹かれたのかお!次に行ったら粛清するお!」 (;´・ω・`)「では・・・」 (#^ω^)「戦争だお!最強イラク軍で米帝どもを蹴散らしてやるお!」 こうして、撤退がなされないまま、期限の1月半ばを過ぎていった。    103: 猪(今日もカップラ): 2006/12/30(土) 22:43:30.68 ID:e87+/04r0    撤退期限を過ぎても、クウェートから撤退しないイラク。 この事実をもって、多国籍軍は回答とみなした。 ( ´_ゝ`)「これは・・・」 ( ,,゚Д゚)「どう考えても・・・」 ('A`)「 戦 争 で す な 」 1月17日、多国籍軍はイラクへの爆撃作戦(砂漠の嵐)を開始した。 湾岸戦争の始まりである。    106: 猪(今日もカップラ): 2006/12/30(土) 22:50:55.59 ID:e87+/04r0    多国籍軍はサウジアラビアから航空機を発進させ、 クウェートではなくイラク本土を直接空襲した。 様々な国の軍用機が、連日イラクを爆撃した。 中には、イラク軍の使っているのと全く同じ航空機が爆撃している、 という光景が見られた。 時に対空放火にやられ、時に同士討ちで、多くの損害をだしながらも イラクへの爆撃は確実に効果を上げていった。 一方、日本は金で解決した。
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