湾岸戦争編

2/12
前へ
/36ページ
次へ
1968年から、バース党の首領としてイラクを我が物とした( ^ω^)は、 逆らうものは徹底的に粛清する独裁政治をふるった一方で、 農業の機械化、農地の分配、学校教育の強化など 近代化と社会福祉政策を推し進めた。 結果、イラクは中東有数の近代国家となった。 1979年、隣国イランで革命が起こり、 シーア派のイラン・イスラム共和国が出来上がった。 指導者の/ ,' 3は極端な反米、政教一致主義者で、中東諸国、アメリカの反感を買った。    30: 訂正: 2006/12/30(土) 20:45:15.50 ID:e87+/04r0    イスラム革命の波及を恐れるサウジアラビア、クウェート、UAEなどが米国に嘆願し イランのシーア派と対立する、スンニ派のイラクを米国が後押しした。 ( ^ω^)「/ ,' 3率いるイランをぶっ潰すお!」 当時のイラクはお金持ちだったので、 ソ連やフランス、アメリカから大量の武器を購入した。 しかし、イラクの奇襲で始まったイラン・イラク戦争は決着が付かず、 周辺諸国を巻き込んだgdgdの末、1989年に/ ,' 3が死に、 1990年、両国の国交は回復した。    37: 猪(入浴中): 2006/12/30(土) 21:02:56.19 ID:e87+/04r0    イラン・イラク戦争が終わって ∩( ^ω^)∩「戦争には勝てなかったけど、/ ,' 3が死んだお!わーい」 (´・ω・`)「そうそう喜んでいられませんよ大統領・・・」 ( ^ω^)「へ?」 (´・ω・`)「8年間も戦争してたもんだからイラクは疲れきっています・・・」 ( ^ω^)「mjd?」 (´・ω・`)「mjd」
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加