カーテンを開ける前に、戯言を。

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まずは、補足を…。 私が肖像に込められた物語を語る際は、必ず、第三者の“語り手”として、語らせて頂きます。 私は、肖像の方でも、とある御仁でもありませんので…当然でございましょう? 物語、ですので、多数の人物が登場する場合がございます。 語る肖像によっては、とある御仁が一体誰であるか、解らない語り口の時もあるかと思いますが…。 あなた様には、とある御仁がどう関わっているか、考えながら、聞いて頂けたら、と思います。 また、全ての肖像は、“とある御仁”と必ず接点があります。 この回廊は、とある御仁の世界と呼べる、いわば“人間関係”を表した場所。 ですが、肖像画と肖像画の接点は、物語では鮮明に致しませんし、接点がある肖像画同士を隣り合わせたりもしておりません。 もし、肖像画の当人様方がいがみ合っていたとしたら…肖像画でくらいは、離れていたいだろう、という、とある御仁の優しさという名の“欺瞞(ぎまん)”です。 全く、滑稽でございましょう? ですから、どの肖像画とどの肖像画に接点があるのかを考えながら、ご覧になって下さいませ。 その方が、ミステリー小説や推理小説のようで、面白味があるでしょう? そして、語られた肖像の方が“勝者”か“負者”か…。 それは、あなた様が判断され、その胸の内に納めて下さいませ。 感じ方は人それぞれ、と申しますし。 一つ言える事は、あなた様も、“勝者”か“負者”のどちらかである、という事です。 理解し難いですか? そうでございましょう。 大半の人間は、“自身”を正しく分析する事は出来ません。 ましてや、生まれつき決まっている“勝ち負け”など、認められないでしょうし。 ですから、口に出さず、裡(うち)に留め、存分に思案なさって下さいませ。 善し悪し如何(いかん)に拘(かか)わらず、何かに気付けるかも、しれませんよ?
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