番外編 花のようなひと

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「……ええ、ありがとうございます」  相手はそれ以上何も言わず、ただぽんと労るように肩を叩いて自分の机へと戻った。他の書生たちも、やや遠巻きにして剛実の後ろ姿を見つめている。  剛実の手許には、今日届けられた一通の通知――召集令状があった。赤い紙片には一週間後、東京近郊にある陸軍基地へと出頭するよう通達が記されている。  拒否する権利は、ない。たった一枚の紙切れでもって、若い命が戦場へと連れ去られて行く。  書生部屋はいつもなら、夕食も終わった今の時間は雑談飛び交うくつろぎのひとときだ。しかし今日は全員がうつむき、ひっそりと口を噤んで各々の机に散らばっている。誰もが明日は我が身と思い、暗澹たる胸の裡を噛み潰しているのだ。  深夜、眠れないので剛実は、そっと布団を抜け出して寝巻き姿のままで外へ出た。  書生部屋の先にある木立に分け入り、木と木の間にぽつんと置かれた切石に腰掛ける。一人で深夜そこに座ってぼんやりするのが、いつしか剛実の日課になっていた。  木々の間から、母屋の洋館が見える。その片翼にある窓に灯っている明かりを、剛実は遠目に眺めた。  一弥の居室だ。書斎と寝室、二間続きのその部屋の、書斎の方がまだ明るい。いくら早く寝てくださいと言っても、いつも深夜を回らないと電灯が消えないのだ。帝大に入っても、勉強熱心なところは変わらないらしい。  小さな明かりを眺めながらも、剛実の頭では書生たちの話が悶々と渦巻いていた。  この頃の彼らの話題は、やはり戦争についてのものが多くなっていた。授業時間を潰しての軍事教練だの、出征前の繰り上げ卒業だの、聞いているだけで戦争色一色だ。本来学業に励むべき学生たちにも、時局の暗い影が忍び寄っているらしい。 「……男にならずに、死にたくはないものだな」  ある書生が嘆いていた。女の肌も知らないままに命を散らせるかと。すると年長の書生が遊郭へと誘いをかけたが、彼は「そうじゃないんだ」とかぶりを振り、町でたまたま見かけたという令嬢に寄せる切なる想いを吐露してみせる。身なりからして華族階級の娘だろうと。
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