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「どうせ男になるなら、想い人へ想いを遂げたいんだ。なあ、そう思わないか。心から好いた相手を抱きたいんだ、分かるだろう」
普段は色ごとの話にはほとんど加わらないのに、そのひと言にはどきりとさせられた。剛実は自学の手を止め、書生の語りに耳を傾ける。
「しかし、分かっちゃいるんだよ、叶わぬ想いだということは。何しろ相手は高嶺の花だしな。だが、一度でいいんだ、たった一夜で。その夢があったら、戦地での慰めにもなるはずさ」
――林の向こうで、部屋の明かりがふっと消えた。剛実は息を飲む。それがどうしてか、身の裡に何かほの暗いものを芽生えさせたからだ。
暗くなった窓からの連想で、寝室へと入っていく一弥の姿が眼裏に浮かんだ。寝巻きに着替えたあのひとは枕辺の洋燈を灯し、就寝の前に少しの間読書するのだろう。そしてほっそりした身体を寝台に横たえ、つややかな黒髪を枕に流してまぶたを閉じる。
それは、いつもならば心安らぐ光景のはずだった。だが今日は、妄想が思わぬ部分に接近し、その細部を執拗なまでに拡大していく。
黒髪が撫でる匂いやかな首筋、色淡く品のいいかたちをした唇、寝巻きの合わせからのぞく胸肌、帯を緩く巻いた細腰、裾からこぼれる白い足首……
ずくん、ずくんと身の中心が疼く。剛実は膝頭に置いた拳を握るが、それらが意味する願望を認めた瞬間、腹の底から勃然と巻き起こるものがあった。
――あのひとを……抱く……。
――妄想ではなく、現実のあのひとを……。
その考えが頭に取り付き、たちまち心身までも蝕んでいく。
いつだかの祭りの夜に、兄貴風を吹かせた書生たちの手によって強引に遊郭に連れて行かれたことがあった。場の空気に引きずられるままに登楼してしまったが、ただ身体が反応しただけで、最後まで心が昂ぶることはなかった。いや、腹の下でくねる柔い身体に、他のしなやかで引き締まった肉体を思い描いた時のみ、熱い激情が胸を裂かんばかりに迸った。
そうだ、昔から切望していたことじゃないか。
数日前、湯殿で見た主の裸身が思い浮かぶ。下帯ひとつだけをまとった湯上がりの肌は震いつきたいような質感で、己を抑えつけるのに相当の苦心が要った。
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