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しかし、一度始めたのなら完遂すると決めていた。そうでなければ意味がない。着手した以上は何が何でもやり遂げると、剛実は、まさに魔に取り憑かれたかのごとく手筈を整えていった。
こんな望みを打ち明けたとて、あのひとは許嫁への貞節を考えて拒否するかもしれない。それほど高潔なひとだから。あるいは、望みの浅ましさ自体を嫌悪するかもしれない。たとえ自らの命を楯にしたとしても、拒まれる可能性は当然ある。
だが、それでは駄目なのだ。否は一切認めない。自分がすごすごと引き下がることもない。だからこれは、いくら想いが同じでも、相手に拒否する権利を与えない凌辱なのだ。
ならば、すべて自分が悪いということにすればいい。すべては、恋に狂った下僕が勝手に行うことだ。あのひとには傷のひとつもつけたくない。罪悪感も何も感じて欲しくない。この気持ちが罪だというのなら、それは自分一人が被る――
あらゆる言い訳を重ね、そして、当日。
一弥が外出してから間もなく、剛実もまた出かけると断って邸を出た。友人らに暇を告げ、酒を酌み交わしてくると言えば、誰も疑う者はいなかった。運良く威一郎も家を空ける日だったから、一弥がひと晩戻らなくともさして大事にはならないだろう。
町名と相手先の名だけはさりげなく聞き出していたので、現地にて聞き込みをし「この春まで学習院にて漢学を教えていた先生」の家を突き止め、その近辺で待ち伏せする。
夕刻、恩師の家から出てくる主の姿を見とめ、先回りする。いい具合に小雨が降っており、周囲に他の通行人はいなかった。そして脇道に俥を止め、相手の前にひと足で出る。
「……一弥さま」
暗闇からいきなり出て来た男にぎょっとした一弥だったが、こちらの顔を見てほっと息をつく。
「剛実、迎えに来てくれたのか?」
安堵の他は何も、一点の疑いすらないその表情に、胸がちくりと痛む。
我ながら、顔が強張っているのが分かった。それを察して怯え顔をした一弥の肩を掴み、拳を握って強かに鳩尾を打つ。
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