番外編 花のようなひと

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 あれが恋文でなくて何なのだろう。手紙を手渡した際の一弥の態度から察すれば、おそらく思い込みではあるまい。たまたまとはいえ、あんな手紙を拾うのではなかったと、理不尽な後悔にまで駆られたほどだ。その分、己が抱えている思慕の深さを省みて、さらなる苦しさが込み上げもしたが。  その後の一弥の態度からすれば断りを入れたようだったが、手紙には、どんな文句が書き連ねてあったのだろう。ああ、想いの一端でも伝えることができる相手が、この上なく羨ましい。  胸中で嘆きながらも、剛実はぐっと自制心を強くした。ほんの少し手を伸ばせば、愛しいその相手がすぐそばにいるのだ。だが妙な真似はすまい、この機会を台無しにだけはするまいと、ただ口許を引き結んで長い土手を歩く。 「……」  だがそれにしても、なぜ主はこの散歩を言い出したのだろう。もしや何か相談事でもあるのかと思ったが、一弥は何を言うでもなく、ただ剛実の傍らを黙して歩き続けていた。やや遅れがちな彼の足取りに合わせ、剛実も歩幅を狭くして付き従う。  肌が、相手の側だけちりちりと敏感になっていく。まるで熱波でも受けているかのようで、身ごなしまでもがぎこちなくなってしまう。  そればかりではない、どうも、先ほどから相手の視線を感じるのだ。自分が彼を気にかけるあまりの勘違いかと思ったが、そうではなく、横目にちらちらとこちらを盗み見ている一弥の気配を感じる。 「……」  詰まる息を飲み込み、剛実は思い切って傍らを向く。と、一弥がぱっと目をそらした。その眦がほんのりと赤く染まっていることに気づき、剛実の胸がどきん、と三寸ばかりも跳ね上がる。明らかに、夕陽のせいではない色づきだった。  女中部屋をたまたま通りかかった時に聞いたひと言が、耳に唐突に蘇った。  ――一弥さまは本当に、剛実さんがいないと夜も日も明けないんだから……。
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