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もちろんそういう意味ではないことは知っている。しかし常に「剛実、剛実」とそばに呼びつけられるし、何かにつけて相手からの視線を感じてはいた。食事の給仕や、朝夕の送り迎えの際、あるいは、庭仕事を手伝っている時や、邸内の雑用をしている時など、ふと視線を感じて顔を上げると一弥がその先にいるのだ。そして剛実が気づいた瞬間、ぱっと顔をそらしてしまう。そう、さっきのように。
「……、」
剛実はごくりと息を飲む。まるで自分のようではないかと、つい思ってしまったからだ。好きな相手をいつも視界に置きたいと思う気持ち。切ない想いに頬を染め、愛しい姿をそっと盗み見てしまう気持ち――
一弥は、己の仕草をごまかすかのように後れ毛を忙しなく払っていた。しかしその横顔や視線が、なおもこちらを気にし続けていることは、すぐに見て取れた。
どくん、どくんと心臓が脈動する。相手がもちろん、自分を信頼し情を寄せてくれることは知っている。だが、そんな態度、そんな表情をされると、自分の望む方へと都合のいい期待をかけてしまうではないか。おこがましいにもほどがある願望なのに。
「……、剛実」
呼びかけられ、はっと足を止める。頬を染めた一弥はおずおずと、しかし意を決する声音で、土手の下方を指す。
「草地に降りないか? 少し、休憩して行こう」
詰めた息をさりげなく吐き、剛実は「はい」とうなずき返す。
草を踏んで土手を斜めに伝い降り、河川敷の適当な場所へ並んで腰を下ろす。滔々と流れる川が夕陽色の粒をきらめかせる光景を、二人、また黙して眺める。
一弥はやはり、何も言ってこなかった。なのに彼の横顔や仕草が、ひたすらに気にかかってしまう。すべてはお前の思い過ごしなのだと、いっそ誰かに言って欲しいくらいだった。
気詰まりな沈黙を破ってしまおうかと思ったその時、
「……剛実は、」
一弥が、膝を抱えたままつぶやいた。彼は足下の地面を埋めるシロツメクサに目を落として、続けた。
「覚えていないかもしれないが……」
一弥が指先で触れている小さな草を見、もしや、と感づく。瞬時に、幼い頃の一場面が蘇ってくる。
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