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「……散り始めが一番美しいなんて、桜という花は羨ましいものでございますわね」  大広間の喧騒を突いて耳に入ってきたその言葉に、玖珂一弥(くがいちや)はふと物思いを断ち切った。桜が咲きこぼれる庭に面したテラスの窓辺にもたれたまま、客たちがくつろぐ室内に視線を戻す。  炉棚の前に設えた卓の中心、容貌にやや薹の立った公爵夫人が、それでも艶麗な微笑を周囲に振り撒きながら続ける。 「花は最後のひとひらまでも人の心を和ませ、惜しまれながら散ってゆくのに、ほら、哀れな人草はつまらない老残の身を晒すばかりで……」  すると、席に着いている子爵夫人や令嬢たちがかぶりを振り、「いいえ、いいえ」といまだ枯れ衰えぬ美貌を口々に誉めそやす。花も実もある御身ではありませんかと、その高貴な身分も含めた賞賛の言葉も添えて。  さざめく笑い声が室内に広がり満ちるのを見て取り、一弥はほっと胸中で安堵した。冷涼な目許も、小春の空気のように柔らかく緩む。  この頃の世情を慮って一時は中止を考えた玖珂家恒例の観桜会だったが、こうして例年通りの開催を取り決めて正解だった。昨年末――昭和十六年の十二月に太平洋戦争の火蓋が切って落とされてからすでに四ヶ月、とかく暗鬱な話題ばかりが持ち上がる昨今だから、荒みがちな心が花を愛でるひとときだけでも慰められればと思ったのだ。  もちろん、単に花見に耽るばかりではなく、そこにはもうひとつの意図もあった。戦災孤児や寡婦のための寄付金や、戦地にて儚くなった軍下士官家族への慰問金を募るのだ。会の規模は通常より縮小したが、集まりは上々、この様子であれば目的も無事に果たせるはずだと、呼びかけの筆頭に立った一弥は大いに安堵する。  招かれた紳士淑女らは会の主旨を反映して、皆が控え目な洋装や訪問着姿だった。だが、ころころと転がる鈴のように続いていく女性陣のお喋りの声のおかげか、華やいだ雰囲気が途絶えることはなかった。 「枯れ木に咲いた姥桜たちが姦しいな」
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