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古びた七森町自治会館前の桜は満開だった。
道の左右から伸びている枝から、ハラハラと時折薄紅色の花びらが散ってくる。花びらのアーチをくぐり抜けながら薫は命の儚さを思ってため息を吐いた。
ハルさんとはほとんど面識はない。たまに道で出会ったら挨拶をするくらいの顔見知りで、実のところあまりいい印象もなかった。
というのも、昔、家の敷地で遊んでいて怒られた印象しかなかったのだ。
細い道の突き当り。町内で一番広い敷地を囲むブロック塀の向こう側には、住宅地では珍しい土が豊富にあった。
しかも公園にあるような黄色い砂ではなく、ミミズが居るような、腐葉土と言っていいようなふっくらとした黒い土だ。
栄養たっぷりな土には木と草が覆い茂っていた。
バッタやセミやクワガタなど、虫もたくさんいて、子供の格好の遊び場であったのだ。
虫の鳴き声が響き渡る。濃い緑が陽の光に鮮やかに浮かび上がるそこは、明らかに別世界だった。世界にはこんなにたくさんの色があるのだと驚いた覚えがある。
(それから……)
あの場所をさらなる異世界に思わせていたのは――
庭にあった不思議な建造物を思い出したかけたところで、
「あれ?」
薫は前方に見知った人影を見つけた。
伸び過ぎたせいでボブになりかけているという残念かつ特徴的な髪型。
しかも鬱陶しくないのかと問い詰めたくなる長い前髪。
眼鏡は小学校の時からかけている一昔前の野暮ったいセルフレーム。
着られればいいと言った風の古びたジャージ。
何よりも背の高さを打ち消すあの猫背は見間違いようがない。
「瑛太?」
幼馴染の二ノ宮瑛太だった。
なんでここに、と一瞬浮かんだ疑問を薫はすぐに消した。
同級生の彼は、薫と同じ理由でここに居るのだと思ったのだ。
彼は、
「俺は、バイト」
と薫の心を読んだかのように答えた。
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