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美術室のドアを開けると、会いたかった彼が振り向いた。私の顔を見るなり柔らかく笑う彼を見て、やっぱりここへ来て良かったと思った。
「遅いから、今日も来てくれないんじゃないかって思った」
「今日は日直だったんです」
嘘ではない。
ドアを閉めて、先輩の近くまで行く。
来たり来なかったりになってしまった私に、先輩は責めるでもなく、問い詰めるでもなく、いつでも温かく迎え入れてくれた。
こんなに優しい人だもの。他の人が好きにならないはずがない。けれど、私だってこの人のことが好きだってことに偽りなどない。
「そう。それで遅かったんだ。あれ? 膝どうしたの?」
納得したような表情を見せた後、つい先程貼ったばかりの絆創膏を見て夏希先輩はそう言った。
「これは、えっと……転んじゃって」
高瀬秋が、夏希先輩に言うと言っていた。本当はこんなこと知られたくなどない。
先輩に余計な心配はかけたくないし、自分のせいだと思ってもほしくない。
しかし、高瀬秋が言ったように、他人から聞けば余計に気を遣わせてしまうかもしれない。それはそれで避けたかった。
どちらにせよ、この場で私から言うようなことでもないため、私は当たり障りのない言葉を選んだ。
「大丈夫?」
「大丈夫です。ちょっと擦りむいただけなので」
「気を付けてね。痕が残ると困るから」
彼は、眉を下げてそう言った。心配してくれているのがよくわかる。本当に優しい人だと思う。
「ちゃんと消毒しておきます。座ってもいいですか?」
「うん、どうぞ」
彼は、ようやく微笑んで見せて、近くの椅子を引き、私をそこへ促した。私は、用意された彼の隣へ座る。
目の前に広がるキャンバスには、全体のバランスが整ったデッサンが描かれている。
先日、私があの音楽室へ戻りあの時と同じように空を見上げたまま静止した姿が描かれていた。
「わぁ……。すごいです」
「そろそろ色をつけていこうかなって思ってるんだ」
「そうなんですね! 楽しみです」
「ここまで思ったよりも速く進んで、自分でも驚いてる」
そう言った先輩の表情は、穏やかでそれでいて満足そうだった。
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