はじまりとこれから

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 僕はこれを狂気と言わざるを得ない。なぜなら、これほど己を悪しき者だと感じ、自制を失わせるものはないからだ。  野々村義博は、ちょっと文壇に名の知れはじめた書生で、僕の親友だった。いつでも僕をはげまし、尊び、引き立ててくれていた。野々村こそは、世間に認められぬ僕の真価を見抜いてくれる男だった。  ちょっと僕の悪評に落ち込むのを見ては、あれがわからないとは馬鹿だぜと、いかに設定の妙があり、無駄がないかをとうとうと語って聞かせ、また深みがあると誉めそやし、僕の気持ちを深海から引き上げてくれた。  だが、誉めるばかりではないところが、野々村のえらいところだ。誉めるだけ、貶すだけなら誰でも可能だが、野々村はきちんと叱る部分は叱ってくれる。 「しかしな、木崎くん。君の話はどうも、読み解くには難解な、いわゆる一般受けはしない部分があるのだ。そのあたりを崩してわかりやすくすれば、君の真価を世に知らしめられるのだがなぁ」  我が事のように惜しがる野々村に、僕はますますの信頼を寄せて答えた。 「ありがとう、野々村。だが僕は、それをどうすればいいのか、さっぱりわからないんだ。僕にとっては、わかりやすく軽妙に書いているつもりなんだ」 「わかっているさ。そこが木崎くんの、清く気高い証拠となっている。俺は木崎くんの、そういうところに惚れ込んで共にいるのだ。世間では、釣り合わぬ仲と言われているが、文壇仲間の俗な寄り合いで、芸者遊びをするよりも、木崎くんと過ごすほうが、なんぼか楽しい。やはり君は、世間一般に媚びるために、作風を変えるよりも、いまのままを貫くがいいと思う」 「それだと、僕はいっこうに目が出ずに、食べてはいけない」  冗談めかして笑って見せると、野々村はひどく真面目な顔になって、そのときは俺が一生食わせてやるさ、と怖いくらい真っ直ぐに言った。  あれは、厚すぎる友情ゆえだろうと、僕は思った。それほど評価してくれる野々村を有り難く思い、彼に恥じない者になろうと、執筆にいそしんだ。
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