朔の夜

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 口の端を歪めて小さく笑う姿は気さくで、私に対して何の構えも感じられず好ましかった。その気さくさは、彼の己に対する自信の表れの一つでもあったが、私にそうして接してくる人間は極めて少なかったため新鮮だった。 『京都は雪こそ少ないですが、体の奥まで響くように冷えます。寒さに変わりはございませぬ』 『寒いものは寒い、と?』 『ええ』 『なるほど』  途端に慶喜殿から優しい笑顔で微笑まれて、私は何か武士からぬ物言いでもしたのかと不安になった。その気持ちが顔に出てしまっていたのか、慶喜殿は私を安心させるように言葉を足してくれた。 『会津公の正直で真っ直ぐなご気性は、混乱したこの京都では何よりも得難い。共に手をたずさえてまいろうぞ』  感激した私は頬に血を登らせ、形ばかりの礼を述べるので精いっぱいだった。  尾張徳川家の分家に生まれた自分と、水戸徳川家に生まれた慶喜殿。常にあの方は誰よりも抜きん出ていた。血の高貴さも才覚の名高さも。  齢二十にして井伊直弼殿相手に猛抗議をした件を耳にしたときから、ずっと意識していた。ともに東照宮の末裔であるがゆえに、その英明さに憧憬を感じていた。  その感情は裏切られるその日まで続いた。登城禁止を言い渡されたあの日まで。    目の前で重さのある影が動いたように感じられて、一瞬身を引いた。 「容保殿」  囁くような呼びかけだった。     
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